ちょびろぐ出張版

技術的なアレコレを書くためにたちあげた

人は人と関わり社会の中でしか生きられない

そんな当たり前のことを実感している毎日。
楽しいお酒が入って気持ちがいいので少し真面目な内容で自分語りしたい。

フリーランスを始めたきっかけは、思い返せば様々な要因が重なったからなのだが、結局のところ、カッコイイ耳障りのいい言葉を連ねてみたものの、本音の部分では辛い現実から逃げたかった。
僕という人間に関わっていた全ての人から離れたかったという気持ちが強かった。
こんなみっともない姿を会社の人、家族、知人、友人、そして親友たちに見せたくなかった。
誰かが悪いわけじゃない、ただ、本当に少しの間一人で孤独な状態になりたかった。

4年も勤め仕事にも慣れ、少し調子づいていたのかもしれない。
仕事もそこそこにこなし、会社での信頼や立場的にもある程度固まってきたところで、余裕が出てきたのでSNSや知人との飲み会などで知り合った子たちと遊んだり付き合ったりしていた。
今思えば、こんな自分が考えられないくらいゲスイことしてたなぁと思う。
そして、楽しく過ごしていた日々だったが今まで見ぬふりをしていた事実に直面してしまった。

祖父母の老衰である。

僕にとって祖父母というのは、祖父母というより、じいちゃんばあちゃんと書いたほうがしっくりきて、母親より育ててくれた本当に大事な、大切な存在で、彼らがいたからこそ頑張れたし、何かあっても田舎に戻って助けてくれる、そんな心の支えだった。

でも、いつかは来るだろうと思ってはいたが、元気でいつも車で送迎してくれたじいちゃんも足腰が弱り、まず車に乗れなくなり、庭の松の世話や趣味だった花壇いじりも出来なくなって、糖尿病等が原因で歩けなくなってしまった。
ばあちゃんは昔から身体が弱い割にはじいちゃんより元気に動けていたのだが……

その日、例のごとく遊んでいた女の子と飲んでいる時、母さんから連絡がきた。

「ばあちゃんが倒れて、入院したよ」

本当に頭が真っ白になった。
じいちゃんが具合悪いのは知っていたが、ばあちゃんが胃がんで倒れたっていう報告で驚きすぎて気持ちが追いつかなくて、連れの子に心配されながらその日はお開きにした。

とにかくすぐ電話をしたが母親もテンパっており、まともな会話が出来ない。
そりゃそうだ、自分の母親がそんな状態になって冷静でいられるはずがない。

とにかく一旦、帰省することにして、当時付き合っていた彼女にばあちゃんが倒れて危ないので、早めに婚約報告をしようと連絡し、承諾を得たので長野へ連れて行った。

今思えば遊んでいた自分にバチが当たったのかなと思う。

ばあちゃんの病気は胃がんだった。
しかもステージがかなり進んでおり、もう手術しようが余命1年ないだろうという医者の説明。
本人も体調不良については懸念しており、手術をせず、静かに療養しつつ余命を生きるか、手術をして少しでも長く生きるかという話になったが、昔から気が強く、とても聡明で88という年齢にしてはしっかりしているばあちゃんだったからこその決断を下した。

「手術するわ」

家族である叔父や母親は反対気味だったが、ばあちゃんたっての願いならもう後はお医者様の力と本人の生きる気力にかけるしかない。

結論から書くと、とても大変な手術だったが無事成功し、胃がんは取り除かれた。
おかげで本人的にはだいぶ気持ちが楽になっており、結構具合は良さそうだった。
ただ、どちらにしても本人には伝えていないが最終ステージであることに変わりはなく、転移したりすれば一発で終わりという状態でなんとか1年以上も生きてくれた。

ただ、この日から僕にとって辛い日々の始まりである。

結局、彼女とは双方の親に紹介し合ったものの、別れてしまった。
僕の遊びすぎもあるが、遠距離だったこともあり、彼女の浮気が彼女の友人経由で僕が知ってしまい、お互い様であるが、結構ショックでもう何も考えられなくなってしまった。
このあたりについては恥ずかしい話ばかりなので割愛するが、多くの友人に迷惑をかけてしまった。
結果的に、その流れで多くの人と一旦距離を置くことになり、人間不信になり、僕の人生のターニングポイントになった時期でもある。

そんな辛い夏が過ぎて、秋がやってきたころ、再度、訪れる突然の悲報。

「じいちゃんが亡くなったよ」

いつも通り会社に行くために起きたら、朝から多数の着信と、母さんからのメールがきていた。
とにかく頭が真っ白になった。
え、ばあちゃんではなく、じいちゃんが?夏休みに帰省したときはあんなに元気で、身体をもんであげたら
「ありがとよ」
ってかすれた声で答えてくれたじいちゃんが……

とにかくその日はもう何も手につかなくて会社についても涙が出てきて、この年齢まで人が死ぬことを体験したことがなかったから、こんなにも辛いことがあるんだなという感情しかなかった。
上司からは仕事いいから帰って田舎に戻りなって優しく言葉をかけていただき、その足でそのまま帰省した。
彼女と別れて落ち込んでいたこともあるが、それ以上に大事な人をまた失ったという喪失感に押しつぶされそうだった。

看取ることが出来なかった、一時的にだが自宅ではなく、入居施設に入れられていたこと、そして病院で息を引き取ったこと。
そんな僕に隠されていた事実を知り、怒りもあるがそれ以上に悲しみにくれてしまい、次は絶対、ばあちゃんは僕が看取りたいし側にいると決めた。
実際、看護していたおばさんやおじさん、母さんたちは大変だったのは想像に難くないが、それでもこんな最後はないと僕は本当に後悔した。

葬儀はとても荘厳に執り行われた。
田舎にしては200名を超えるほどの弔問があり、あまり社交的ではなかったじいちゃんだったけど、慕われていたことがよく伝わってきた。
僕はじいちゃんのようになりたかったし、たくさんのことを教わってきた。
父がいない僕にとって父ちゃんの代わりでもあり、優しいじいちゃんだった。

そして、彼女と別れた夏から10kg近く激ヤセしてしまい、ダイエットと称していたが実際は食べ物を受け付けず、筋トレをしないと落ち着かない日々だったのだが、じいちゃんの件でさらに追い打ちをかけた。
結局、12月くらいまでそんな鬱憤として気持ちが引きずってしまい、仕事もミスが多くなり、個人的に決心した。

それが、迷惑かけていることも実感しているし、一旦、会社を辞めてフリーランスとして仕事しつつ、ばあちゃんの最後は看取るっていうこと。

ここから先は別のブログで書いたので省略するが、結局、フリーランスになった年の7月にばあちゃんは誕生日目前でなくなった。
胃がんで半年持たないという宣告から本当によくもってくれた。
じいちゃんの葬儀も落ち込むことなく、しっかりと手配し、家族があたふたしている中、誰よりも凛とした姿で頑張ってくれた。
そして自分が亡くなるのを察していたのか、自分の葬儀については誰を呼ぶのか、どのような席配置にするか、残された家族のことを考え、全てを完遂してからなくなっていった。

僕はもう危ないかもという一週間前からばあちゃんの家に泊まり込み、リモートで仕事をしながらばあちゃんの世話をしたり、会話をして様子を見ていた。

結果、帰省して2週間目の週初めあたりの朝からもう虫の息になっており、意識も朦朧としていたが、母さんたちが急ぎ帰宅したときにはちょうど亡くなる瞬間だった。

今度は最後を看取ることが出来た。

悲しみもだが、ずっと苦しんでいたばあちゃんを看取ることが出来た安心感と無力感となんとも言えない喪失感をまた味わった。
ばあちゃんとの思い出が頭の中を駆け巡りまた泣いた。


結局、この日から僕は本当に人と会うことはなくなった。

よく冗談でコンビニやお店の店員さんとしか話をしないことがあるなんて言うと、嘘だろって思われるけど、僕はそんな生活をずっとしていた。
FacebookTwitterでの更新は全て止めた。
家族以外では本当にこういうとき気軽に話せる昔の仕事の付き合いの人だけになった。
友達の誰にも連絡すらしなくなった。
唯一あるのは好きなゲームのオフ会だけ、その時だけは全てを忘れられた。
ただ深い付き合いはせず、顔見知り程度になったらそれ以上は踏み込まず、2次会など飲みはあえて参加しなかった。

とにかくもう誰にも関わりたくなかった。
辛い思いをたった数年でしすぎた。
心配して声をかけてくれた、今まで遊んでいた子たちとは一応きちんとさよならをした。
こんな僕でも愛され心配してくれることに涙した。

ただ、毎日死にたいとか、今死んだら母親が悲しむよなとか、そんなことばかりループで考えていた。
死ぬ勇気もなく、かといって何かを変えることも出来ず、受注した仕事をこなし、最低限の生き方をしていた。
2年目からやっと気楽になり、心に余裕が出てきたが、それでもふとした瞬間にすぐネガティブになる自分がいた。

結局、2年で得たものっていうのは、心の整理がしたかったということもあるし、自分探しの旅をしたようなものだが、結果的に自分を見つめ直すいい機会になったのかなと思う。

やっと立ち直ることが出来た今、辛かった時期に仕事上で投げ出してしまった案件もあるしその人にはきちんと謝りたいとも思っている。
また、僕が離れてしまったが友人たちにはまた連絡を取れる機会やタイミングがあるなら話がしたいとも思っている。

会社では明るい変なおっさんだと思われているみたいだが、落ち込んでいた反動のようなもので、僕自身が本来、昔から明るくて楽しいって言われていたそういう性格ではあるものの、よくここまで戻ってこれたなと思う。
これは今の会社に入ることが出来て、自分が必要されていると感じられたことや会社の雰囲気やメンバーに恵まれたなと本当に感謝している。
もし、転職に失敗していたら本気で危なかったかもしれない。

長くなってしまったが、タイトル的な意味としては誰かと話すことで結果的にリハビリになり、余計なことを考えなくもなるし、新しい刺激が生まれるので多少荒療治ではあるものの、これこそが最適な方法なんだなと。

人も30年以上生きていれば様々な出来事がたくさんあると思うし、僕よりもっと壮絶な人生を送っている人を知っている。
だけど、たとえどんなことがあっても、人は人と繋がっており離れることは出来ないっていう事と、誰かと繋がることで生きていけるという至極真っ当な結論に達した。

多分そのうち、また人間関係がめんどくさいときがくると思う。
それでも、あのどん底を経験したからこそ、今の人間関係は大事にしていきたいし、たとえうざがられることがあったとしても、積極的に関わり合っていきたいし、良い関係を築いていきたい。
僕が受けた恩や助けを返していきたい。


飲み会後、歩きながらそんなことを考えていた、どこかワクワクする蒸し暑い夏の夜。